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ゆかたべさんピンバッジ

ゆかたべさんってなぁに?

江戸時代、湯座屋には16歳前後の浴衣娘(ゆかたべ)と呼ばれる少女達が町を華やかに彩っていました。彼女たちは浴客を旅館から総湯まで案内し、彼らの入浴中その浴衣をあずかるのが仕事でした。何人の浴衣をあずかっても、一枚一枚間違いなくお客に返すというのが浴衣娘の技でもありました。16歳の女の子のことを山中温泉では、4×4(シシ)=16から、「シシ」と呼びます。なので、ゆかたべ人形は片面が少女、もう片面は獅子の顔をしています。また、芸妓さんが、仕事に向かう姿が獅子舞の姿に似ていたという話もあります。

現在では、恋愛成就、心願成就、商売繁盛の守り神としてゆかたべさん人形という九谷焼のお土産にもなっています。

オリジナルのゆかたべさん人形上絵付体験も

ゆかたべさん人形体験 



地元の民謡『山中節』は、入浴中の客とゆかたべさんたちの言葉の掛け合いや合いの手、野次り合いなどによって生まれたといわれています。とくに元禄から明治三十年頃まで毎年冬になると訪れていた北前船の船乗り衆たちの影響は大きく、彼らは北海道の江差、山陰の出雲で聞いた追分を唄ったそうです。その節回しに山中独特の歌詞がついて現在の山中節へと変化していきました。


山中温泉は古九谷のふるさとでもあります。大聖寺藩初代藩主の前田利治が九谷村で鉱山開発中に陶石が発見されたのをきっかけに磁器生産を企画。後藤才次郎が九谷の地で窯を築き、田村権左右衛門を指導して色絵磁器生産を始めたと伝えられています。現在もその伝統は受け継がれています。


山中温泉は、山中漆器の生産が昔から盛んで、現在でも国内トップの生産量を誇っています。特に木地挽き(漆を塗る前の木の器を挽く)技術は、世界中から注目されています。近年では、その技術を後継することにも力を入れており、様々な地域から若い方が学びに来られています。


ここ山中温泉は、石川県の南に位置する静かな温泉街です。古くから、たくさんの人に愛され、中でも俳人松尾芭蕉は、扶桑三大名湯に山中温泉をあげ、この町を大変気に入っていたそうです。今でも、地元の人の多くは、総湯・菊の湯と言われる共同浴場を活用しています。昔から同じ場所にあり、当時は旅館に内風呂はなく、この温泉場を観光客も芭蕉も利用していたそうです。乱世の最中にも敵同士で温泉場は壊さないよう戦場にしなかったという話や、交代で使用したという話もあります。この町が愛される理由は温泉だけでなく、他にもたくさんあります。それが何かは、松尾芭蕉始め数多くの日本を代表する文人墨客、表現者、著名人の方がこの山中温泉について語られたり、作品の中に描かれ残されています。